ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

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「コーダ」 (CODA:Children of Deaf Adults) についてご存知ですか

プロフィール

中津 真美(なかつ まみ)

東京大学多様性包摂共創センター特任助教 博士(生涯発達科学)
障害のある学生・教職員への支援業務に従事する傍ら、コーダの心理社会的発達研究に取り組む。自身も、ろう者の父と聴者の母をもつコーダであり、コーダの会「J-CODA」に所属している。2021年「コーダ自主研究会」設立、2022年NHKドラマ「しずかちゃんとパパ」コーダ考証担当など、コーダ当事者の視点を活かした取り組みも行っている。主な著書に、『コーダ きこえない親の通訳を担う子どもたち』(2023年、金子書房)、『コーダ 私たちの多様な語り』(分担執筆/2024年、生活書院)などがある。

「コーダ」とは、きこえない、または、きこえにくい親(以下、きこえない親)をもつきこえる子どものことを指します。1983年に、アメリカで作られた言葉です。日本には、1994年に初めてコーダという言葉が紹介され、近年ではコーダが登場する映画やドラマも放映されるようになりました。

コーダ・インターナショナルという国際組織では、「コーダとは、きこえない親を一人以上もつ(きこえる)人」と定義されています。

本稿でもそれに倣い、両親ともきこえなくても、どちらかの親だけがきこえなくても、きこえる子どもは皆コーダとします。親が、手話を日常言語として用いる“ろう者”であるか、音声によるコミュニケーションを重視する“難聴者”であるかも問いません。


コーダは、きこえない親のもとで、聴覚に頼らない視覚を重視した生活文化に触れて成長しますから、きこえる世界とは少し異なる“やり方”を身に付けることもあります。たとえば、話すときにはしっかりと相手の目を見たり、豊かな表情や大きなジェスチャーが自然に出たりすることなどは、多くのコーダが自分自身の原体験と重ねて愛おしみながら語る“やり方”のひとつです。

コーダときいて、手話と音声言語のバイリンガルというイメージを浮かべる方々もいらっしゃるかもしれません。確かに、映画やドラマに登場するコーダの多くは手話が堪能ですから、コーダ=手話ができるといったイメージが定着することには頷けます。ただし、実際には、決してその限りではないようです。先にお伝えしたように、親が難聴者の場合には、主に音声によるコミュニケーションを用いますから、そもそもコーダが家庭の中で手話に触れる機会はあまりありません。また、親がろう者の場合でも、テレビや学校や外出先といった親との関わり以外のありとあらゆる日常では、きこえる人々の音声言語の環境で過ごすことになり、「手話は、あまりできない」と語るコーダも実はとても多いのです。コーダ104人を対象にした実態調査※では、きこえない親との会話方法に「手話のみ」と回答したコーダはわずか15人にとどまり、「手話+口話+身振り+筆談等」と、あらゆる方法を組み合わせて親と会話をするコーダが48人と半数近くに上りました。さらに、この実態調査では、「親とどれくらい会話が成立すると思うか?」についても尋ねており、親と「問題なく会話ができる」と回答したコーダは48人で、「だいたい会話ができる」も47人と同程度の人数になりました。コーダによっては、親子であっても会話が成立しづらいときがあるのです。

近年では、ヤングケアラーという概念が、広く知られるようになりました。こども家庭庁などのHPには、ヤングケアラーの例として、「障がいや病気のある家族に代わり、買い物・料理・掃除・洗濯などの家事をしている」などと並んで、「日本語が第一言語でない家族や障がいのある家族のために通訳をしている」という、コーダがきこえない親に行う通訳の例も紹介されています。

前述の実態調査では、コーダは平均6.48歳の幼少期から、1週間のうち平均4.52日ほど親の通訳を担う現状が明らかになりました。また、通訳場面では、電話や来客、買い物などの日常会話場面から、病院での診療や銀行、生命保険担当者との会話など多岐にわたる場面が示されました。これらのコーダの通訳経験には個人差があり、ほとんど通訳を担ってこなかった例や、簡単な通訳のみを担って、その役割をポジティブに捉える例もある一方で、幼い頃から日常的に、重い負担感のもと大人が担うような通訳を引き受けるコーダたちもいることが分かったのです。一般に手話通訳技術というのは、大人が一生懸命頑張って、数年かけて養成講座に通ったりしながら習得していくものですが、子どもには理解が難しい場面であっても、あらゆる方法を用いてなんとか親に通訳をする幼いコーダの様子が浮かびあがりました。すべてのコーダがヤングケアラーというわけではありませんが、後者のような、子どもが親をケアするという固有の関係性に置かれるコーダの例は、ヤングケアラーとして、支援が求められています。

ここで、みなさまと一緒に考えたいことがあります。コーダの通訳の多くは、親子二者の間では必要がなく、第三者が介入したときに初めて発生する役割といえます。そしてそれは、第三者ときこえない親とが、直接会話ができれば発生しない役割でもあります。そう考えれば、第三者である人々が少し振る舞いを変えていくだけで、コーダの負担が軽くなることもありそうです。あるコーダが、このように語っていました。「親の耳がきこえないと分かれば、すぐに表情を変えて困った顔をしてしまう大人の人。そんな人を数多く見てきました。ただきこえないだけだから、ゆっくり口を開けたり、身振りや筆談などをすれば通じるのになぜしないの?」もしもみなさまが、きこえない人と会話をする場面に遭遇したときには、コーダに頼らず、ぜひ直接やりとりをしてみていただきたいと思います。大きく口を開けてゆっくり話したり、筆談やスマホに入力してやりとりをしたり、音声認識アプリを用いたり、場面によってはきこえない親と相談して通訳者派遣制度を利用する方法も考えられます。

この社会は、きこえる人向けに作られていますから、きこえない親にはどうしてもコミュニケーションの壁が立ちはだかることがあります。そのときに、子どもであるコーダに通訳の役割が強要されることのない社会であることを願っています。みなさまとともに、一歩ずつ社会を変えていけたらと思います。


※中津真美、廣田栄子 聴覚障害の親をもつ健聴児(Children of Deaf Adults: CODA)の通訳役割の実態と関連する要因の検討 AUDIOLOGY JAPAN 63(1) 69-77,2020


2024.10 掲載

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