資料館探訪 アウシュヴィッツ 平和博物館の歩み
▲アウシュヴィッツ平和博物館 外観
館長 小渕 真理(おぶち まり)
アウシュヴィッツは、第二次世界大戦時にナチス・ドイツが占領地ポーランドに建設した最大規模の強制収容所です。
推定150万人の尊い命が奪われた同収容所跡は、広島の原爆ドームと同様に『人類が二度と繰り返してはならない20世紀の負の遺産』として、ユネスコ世界遺産に登録され、ポーランド政府が国立博物館として保存しています。
アウシュヴィッツ平和博物館は、同国立博物館から提供された関連資料、犠牲者の遺品、記録写真を常設展示する日本で唯一の博物館です。また、当館所蔵のアンネ・フランク関連写真・資料等の展示も行っています。
戦争は遠い過去の悪夢なのか
▲常設展示室 アウシュヴィッツの記録
行政・企業・組合が主催の場合もありましたが、そのほとんどが地元市民による実行委員会形式で行われました。
展示内容は、アウシュヴィッツの記録写真と、ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館からお借りした犠牲者の遺品ーナチスに連行されて没収された所持品(カバン、靴、衣類、装身具他)や刈り取られた毛髪、さらに人間の脂肪で作られた石鹸などーの構成でした。見学者の方々にインパクトを与えるものであったことから口コミが広がり、各地の開催にあたっては高校生が実行委員になってくれたり、小学生がチラシ配りなどのボランティアに参加してくれるなど高い関心を持っていただいたことが記憶に残ります。過去の戦争記録を教訓として語り継ぐとともに、二度と同じ過ちを犯さぬよう「戦争は遠い過去の悪夢ではない」ことを忘れずに平和を願うものです。
いのちの尊さを刻む市民の手づくりミュージアム
巡回展を開催する中で、ポーランド側から日本に常設館建設の要望が出されました。しかし、首都圏で土地や建物を借りることは民間の力では不可能なことでした。そんな時、栃木で巡回展を手伝った方の紹介で塩谷町にある建物を貸してくれる方があり、2000年4月「アウシュヴィッツ・ミュージアム」として、この運動を始めた青木進々さんと2人のスタッフで開設しました。また運営には地元の女性達もボランティアとして参加してくれました。しかし2年後、建物の地主さんが倒産してしまい、余儀なく移転しなくてはならなくなりました。そのような状況にあった時、NHKの「おはよう日本」というニュース番組が取り上げてくれて、全国から山林・土地・建物・建設資金などの提供者が現れました。何ヶ所かご案内いただきましたが、ご縁があり白河の土地を借りることに決まりました。しかし、この時、青木さんはすでに末期ガンを宣告されていました。
白河に移り、建設準備を進めましたが、結果としては資金不足のため建設を断念せざるを得ませんでした。それに代わり古民家を再利用する再開計画があらたに持ち上がりました。これはNHKのニュース番組を見ていた大工であった塚田一敏さん(元理事長)が、青木さんのためにと古民家を移築し再生することを検討してくれたものでした。
工事はボランティア体制で進められ、2003年に「アウシュヴィッツ平和博物館」としてスタートすることとなりました。残念ながら青木さんは建物を見ることなく他界されましたが、今も我々の活動を見守ってくれていると感じています。
展示会などの催し
現在、本館では、常設展示としてアウシュヴィッツ収容所の記録写真と遺品(囚人服、没収されたカバン、食器など)、救済者(ホロコーストの時代にユダヤ人を救った人々)達を写真とコメントで紹介し、ビデオ室にて当時の映像をご覧いただいております。別棟「アンネ・フランクギャラリー」ではアンネフランク財団からいただいた写真などを常設展示し、また庭内にある貨車を利用した第3展示室では「子どもの目に映った戦争」というテーマで、ポーランドの子どもたちの作文や絵を展示しています。また、企画展として、ホロコースト、原爆、日本の加害の問題などさまざまなテーマの取り組みを年3回程度開催しています。
アウシュヴィッツを伝えるということ
今も世界中で紛争、戦争などが続いており、人権が脅かされています。「アウシュヴィッツのような悲劇はもう本当に終わったのだろうか?」、これからも私たちは忘れることなく問い続けなければなりません。アウシュヴィッツはヨーロッパで起きた過去の悲惨な出来事ではありません。命の尊さ、平和の大切さの普遍性を「アウシュヴィッツ」は伝えています。当館は来年20周年です。15周年の時は新作能「鎮魂」ーアウシュヴィッツ・フクシマの能を上演しました。アウシュヴィッツの犠牲者と東日本大震災・福島原発事故の被害者を追悼・鎮魂する内容で大きな成功を収めました。
フクシマは、原発事故を受けて人権が踏みにじられてしまいました。原発(=核)と人類は共存できません。人間の尊厳が脅かされ、市民が分断されています。また、ウクライナでは戦争によって生命が脅かされています。フクシマもウクライナも困難な状況が今なお続いています。
諦めず希望をもち社会を変えていきましょう。平和な日々が戻ることを願って。
おわりに
当館は、四季の花咲く6000坪の牧草地の頂きにあります。茨城県玉里村(現小美玉市)より移築した江戸時代中期の古民家です。柱や梁は素朴ながら趣のあるたたずまいをみせています。ぜひ一度見学にお越しください。お待ちしております。2023.4 掲載