関屋 裕希:心理的安全性の高い組織づくり
先の読めない時代に新しいものを生み出すために
プロフィール
心理学研究者
関屋 裕希(せきや ゆき)
東京大学大学院医学系研究科 デジタルメンタルヘルス講座 特任研究員・精神保健学分野 客員研究員 心理学博士 臨床心理士 公認心理師
専門は産業精神保健(職場のメンタルヘルス)。産業精神保健に関する研究活動をするかたわら、業種を問わず、メンタルヘルス対策・制度の設計、組織開発・組織活性化ワークショップ、経営層、管理職、従業員、それぞれの層に向けたメンタルヘルスに関する講演・執筆を行う。著書に『感情の問題地図』(技術評論社)など。
ホームページ:http://sekiyayuki.mystrikingly.com/
なぜ「心理的安全性」が重要なのか
はじめに、ひとつNASAのコロンビア号空中分解事故の事例を紹介したいと思います。2003年2月1日、宇宙空間から地球に帰還しようとしていたスペースシャトル・コロンビア号が、大気圏に再突入する際に空中分解し、7名の宇宙飛行士全員が犠牲になりました。この事故は、発射時に発泡断熱材の破片が翼に衝突し、穴が開いてしまったことが原因でした。翼に破片が衝突したことに、誰も気がついていなかったのかというと、そんなことはありませんでした。NASAエンジニアのロドニー・ロシャは打ち上げ日の映像を見て、外部燃料タンクの断熱材が剥がれ落ちて機体の左翼に衝突したことに気づきました。彼は衛星写真を取得すべく上司にリクエストを送りましたが、「不要だ」と判断されてしまいました。リクエストが却下された背景には、衛星写真の取得に複雑な手続きや国防総省に許可を得ることが必要だったことがありました。その1週間後には、正式な会議の場で上級管理職たちが断熱材の衝突の可能性について話し合う機会がありましたが、そのときには、もうロシャが発言することはありませんでした。後の調査委員会のヒアリングの際に、彼は「(自分は)話さないことを選んだのではなく、話すことができなかった」のだと答えています。気づきがあったにも関わらず、チームの関係性が原因で活かされず、重大事故につながってしまったのです。心理的安全性の高い組織とは
チームレベルの心理的安全性について最初に定義したのは組織行動学者のエイミー・エドモンドソン教授でした。彼女は1999年に発表した論文において、「このチームでは率直に自分の意見を伝えても、対人関係のリスクを心配する必要がなく、安全であるということがチームに共有されている状態」と表現しました。ここで言う対人関係のリスクとは、自分の発言がきっかけで相手や周囲から「無知だ」、「生意気だ」、「空気が読めない」などと思われてしまうのではないか、と発言をためらわせてしまう懸念のことを指します。彼女は対人関係のリスクとして、①「こんなことも知らない」と無知だと思われる不安、②「こんなこともできない」と無能だと思われる不安、③「あの人のせいで仕事が進まない」と邪魔していると思われる不安、④「後ろ向きなことばかり言う」とネガティブな人だと思われる不安、の4つを挙げています[図1]。
この4つの不安があると、「わからないこと・知らないことがあっても聞かない」、「失敗やミスを隠す・報告しない」、「新しいアイディアを思いついても言わない」、「問題に気づいても自発的に発言しない」、といった行動がとられるようになってしまいます。
一方、対人的なリスクをとっても安全だとチームで共有されている心理的安全性の高い組織では、わからない・知らないことをすぐに聞くことができたり、ミスを受け入れすぐに報告できたり、新たなアイディアを臆せず口にすることができるだけでなく、否定的な内容も発言することができるようになります。
先の見通しが立ちづらく、これまで通用していた考え方が必ずしも正解とは限らず、常に新しいことやチャレンジが求められる昨今のビジネス環境の中では、経験が少ない人や年代の若い人であっても、「率直に発言できる」、これこそが重視される必要があります。そのために多様な意見やアイディアを出し合うことのできる組織づくりが求められています。
組織心理学の研究の中では、心理的安全性の研究自体は、実は1960年代から始まっていましたが、当初は個人レベルの心理的安全性が研究されていました。それを「チームに共有されたもの」と位置づけたのがエドモンドソン教授です。心理的安全性は、組織のメンバーの一部の人だけが感じているのでは意味がなく、組織メンバー全員の心理的安全性を高めることが大切なのです。
組織も人生も波風が立たないほうがいい、は本当か?
この「心理的安全性」というキーワードをよく耳にするようになって、3年ほどになると思いますが、皆さんは、初めて「心理的安全性の高い組織」というワードを耳にしたとき、どのような組織を思い浮かべましたか? もしかしたら、働く人がニコニコと仲が良さそうに仕事をしている平和な光景を思い浮かべたかもしれません。キーワードの一部にある「安全」という言葉は、働く人の「安全」を重点項目のひとつとして取り組んできた日本の企業にとって、なじみ深いものです。物理的な「安全」においては、問題が起こらないことこそが重要とされますが、このことが「心理的安全性」の正しい理解を妨げている面もあります。これまでの組織では、次のようなことが前提になっていたかもしれません。
「わからないことや知らないことがあってはいけない」「問題やミスは絶対起こしてはいけない」「意見の対立は避けるべきもの」心理的安全性の高い組織をつくるうえでは、まずはこれらの前提から抜け出す必要があります。
「わからないことや知らないことがあるのはあたり前」「問題やミスは(防ごうとする努力は大事だけれど)起こるもの」「意見の対立は自然なこと、むしろ歓迎」こんな風に前提をアップデートする必要があります。
どんどん新しいツールが生まれる環境の中では、わからないことや知らないことがあるのはあたり前、むしろ、いかに「わからないから教えて!」とすぐに聞けるかが大事になってきます。先行きが読めない中では、問題やミスが起こることだってあります。「問題やミスを絶対起こさない」という前提のままでは、いつまで経っても行動に移すことができません。「相手と違う意見を言ってはいけない」、そんな組織の中では新奇性の高いアイディアやイノベーションは生まれなくなってしまいます。
物理的な安全では「波風が立たないこと」が良しとされてきたかもしれませんが、心理的安全性においては、むしろ「波風が立つこと」が前提で、「見通しも立たない」、「わからないことだらけ」、「問題が発生する」、そんな荒波の中でも、目的を達成するため、新しいものを生み出すために、組織一丸となって進んでいく。そのために必要なものこそが、「組織の心理的安全性」なのです。
人生も、波風が立たないほうがいいように思えるかもしれませんが、問題がないことをただただめざすよりも、たくさんの気づきを得ること、体験すること、いろんな感情を感じることにこそ、人生の意味があるとしたら? 組織も人生も、荒波があってこそ、なのかもしれません。
心理的安全性の高い組織づくりに取り組む効果
「心理的安全性」というキーワードが注目されるきっかけになったのは、2016年2月25日にニューヨークタイムズで掲載された、「Googleが完璧なチームをつくるための探求から学んだこと」という記事でした。これは2012年から行われていたGoogleが行った大規模調査「プロジェクト・アリストテレス」の結果、心理的安全性が高いチームは離職率が低く、収益性が高く、多様なアイディアを活用でき、その組織で働くメンバーが上司から評価される機会が2倍多い、ということが分かったという内容でした。なぜこの記事が注目されたかというと、記事の内容が、生産性の高いチームづくりに関する定説を覆す内容だったからです。それまでは成果をあげるいいチームをつくるには、優秀なメンバーを集めればよい、と考えられていましたが、誰がチームのメンバーであるかよりも、チームがどのように協力しているかが重要な要素だと示す、画期的な調査結果だったのです。また、心理的安全性に関する研究を概観したレビュー論文によると、心理的安全性がチームの学習を促進させること、パフォーマンスを向上させることがわかっています[図2]。
その他の効果として、「個人のエンゲージメントが高まる」、「チーム内での情報共有のための行動やチームに貢献する行動が促進される」、「組織全体のエンゲージメントや創造性が高まる」、ことが示されています。私たちが2022年に日本の労働者を対象に行った研究においても、職場の心理的安全性が高いほど、従業員のメンタルヘルスが良く、仕事のパフォーマンスが高いことが示されました。
心理的安全性の高い組織づくりの基礎
職場でメンバー全員が率直に発言できるようになるために大事なことは何でしょうか。例えば、皆さんが、新入社員だったとして、どのような職場・組織であれば、上司の間違いを指摘する、といった一見言いづらいことを口に出しやすくなるでしょうか。自分がその組織の中で一番経験がなかったとしても、組織のことをよく知らなかったとしても、専門的な知識がなかったとしても、勇気を出して「発言できる、発言しよう!」と思えるようになるためには、この組織の中では、ひとりの人間として「尊重されている」と実感できることが欠かせません。「経験があるから」、「役職があるから」など条件つきではなく、ひとりの人間として、どのような考えや意見を持っているのかに関心を寄せあう、「相互尊重」こそが、心理的安全性の高い組織づくりの基礎となります。
「発信」よりも「受信」に注目した取り組みから
いざ心理的安全性の高い組織づくりに取り組もうとなったとき、多くの組織では、「いかに組織の中で率直に発言できるようにするか」という「発信」の部分に注目した対策が中心となっているようです。けれど、「いかに率直に発言できるか」、「安心して発言できるか」においては、自分が率直に発言をしたとしても、対人関係リスクの脅威にさらされるような受け止め方をされないと思えるかどうかにかかっています。心理的安全性は、実は、「発信」ではなく、「受信(受け止め方)」の課題でもあるのです。皆さんは、仕事をする中で、相手から反論されたときや、ネガティブなことが起きたとき、どのように受け止めているでしょうか。例えば、部下に指示を出したら仕事の進め方について異を唱えられたとき、会議で提案をしたら反対意見が挙がってきたとき、ついネガティブに捉えてしまいがちではないでしょうか。「やってみてもないのになんで否定するんだ?!」、「自分の提案の良さを分かってくれないなんて理解力がない!」とつい相手を責めたり、反論してしまいがちです。けれど、勇気を出して率直に発言したら、相手に否定的な受け止め方をされてしまった、となっては、「今度からは頭に浮かんでも言うのをやめよう」と、どんどん組織の中の発言しづらさが増してしまいます。
反対意見は仕事をよりよく変えていくために欠かせないもの、ネガティブな指摘は成長の種、問題は次に活かすためのヒントになりうる、と捉えて、相手の発言そのものを歓迎し、まずは耳を傾けることが大切です。
問題やトラブルが発生している特別なときだけでなく、日常的なやりとりや、日々の打ち合わせの中でも、自分の「受信(受け止め方)」が相手に「発言してよかった、次も気づいたら言おう」と思われるような受け止め方になっているか、それとも、「言わなければよかった。次からは言うのをやめよう」と思わせるような受け止め方になっていないか、振り返ってみるのもよいでしょう。組織としても、「発信」に注目した取り組みだけでなく、「受信(受け止め方)」にアプローチする取り組みもあわせて行っていきましょう。
先の見通しの立ちづらい時代に、心理的安全性の高い組織づくりに一丸となって取り組んでいきましょう!
2024.3 掲載