ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

佐藤 暁子:「ビジネスと人権」
—責任ある持続可能な事業活動をめざして

プロフィール

弁護士
佐藤 暁子 (さとう あきこ)

国連開発計画(UNDP)ビジネスと人権 リエゾンオフィサー/弁護士
上智大学法学部国際関係法学科、一橋大学法科大学院卒業。International Institute of Social Studies(オランダ・ハーグ)開発学修士号(人権専攻)
企業に対する人権方針、人権デュー・ディリジェンスのアドバイス、ステークホルダー・エンゲージメントのコーディネート、またNGOとしての政策提言などを通じて、「ビジネスと人権」の促進に取り組む。

1. 国連「ビジネスと人権に関する指導原則」の背景

「ビジネスと人権」というテーマに触れる機会は、ここ数年で格段に増えたのではないでしょうか。2011年に国連人権理事会において全会一致で承認された国連「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「指導原則」)は、企業が人権を尊重する責任を負うことを国際スタンダードとして示しました。

もともと人権は、国家と市民の関係性から発展した概念です。しかし、第二次世界大戦後、国境を越えた経済活動が活発になるにつれ、人々の権利に影響を与えるのは国家に限らないことが徐々に明らかとなりました。事業活動そのものは、雇用の創出や社会インフラの整備、イノベーションによるさまざまな社会課題の解決など、本来的には社会に対する価値提供が目的です。一方で、意図せずとも資源や労働力を企業が搾取してきたのも事実です。

指導原則は、すべての国内法が国際人権基準に達している訳ではないことから、企業に対し国内法は当然として、国際人権基準を尊重することを求めています。ここでいう国際人権基準とは、例えば世界人権宣言、自由権・社会権規約、ILO(国際労働機関)中核的労働基準、女性差別撤廃条約、人種差別撤廃条約、障害者権利条約などを指します。さらに、指導原則は事業活動の影響は自社内を超え、サプライチェーン・バリューチェーン全体にも及ぶことから、責任の範囲も拡げています。

このように、従来の枠組みでは事業活動に関連して起きる人権侵害に十分に対応できていない現実を改善するために、指導原則が国際社会で合意されました。

2. 国別行動計画(NAP)の役割と日本のNAP

国家は、人権を保護する義務があることから、指導原則を実施する「義務」も負います。現在の課題や関連施策に基づき、今後のロードマップとして策定が推奨されているのが、国別行動計画(National Action Plan NAP)です。

日本では、法制度や施策等に関する現状をまとめたベースラインスタディ(現状把握調査)報告書を2018年に発表したのち、関連省庁や企業・中小企業・労働者・国際機関・市民社会・弁護士会といったステークホルダーからなる作業部会・諮問委員会を2019年に設立し、日本のNAPとして必要な内容や課題について議論を行いました。そして、2020年10月16日に「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2022–2025)」が発表されました。NAPは、その実施について継続的にモニタリング・評価し、今後の改訂時にはその時の課題に即したNAPとすることが重要です。

新型コロナウイルスといった感染症の問題(エボラ出血熱など以前からも課題でしたが、世界的なパンデミックという点でこれまでにない影響の大きさでした)、ミャンマーでのクーデターやロシアによるウクライナ侵攻(武力紛争も以前から各地で起きていましたが、企業との関わりがとりわけ着目されるようになりました)、また、テクノロジーの発展に伴う人権リスク、そして気候変動に伴う人権問題など指導原則策定時には十分に議論されていなかったテーマは、ここ数年で認識が高まっています。このように、事業活動に関わる人権リスクは社会の状況に応じて変化します。NAPが、国としてのビジネスと人権の取り組みを示すものであることから、「生きた文書(Living Document)」としてアップデートしなくてはなりません。

現在の日本のNAPは、横断的事項として以下の6つの分野について、既存の制度・これまでの取り組みと今後行っていく具体的措置が関連省庁とともに記載されています。

① 労働(ディーセント・ワークという働きがいのある人間らしい仕事の促進等
② 子どもの権利の保護・促進
③ 新しい技術の発展に伴う人権
④ 消費者の権利・役割
⑤ 法の下の平等(障害者、女性、性的指向・性自認等)
⑥ 外国人材の受け入れ・共生

加えて、企業に対しては、指導原則に沿った取り組み、すなわち、(1)人権方針の策定、(2)人権デュー・ディリジェンスの実施、(3)救済メカニズムの構築が「政府から企業への期待表明」として示されています。


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3. 人権デュー・ディリジェンス(人権DD)とは?

指導原則は、企業の人権尊重責任という概念を明示した上で、その責任を具体化するために「人権デュー・ディリジェンス」という新たなアプローチを提示しました。

企業の人権尊重責任とは、自社の事業活動のサプライチェーン・バリューチェーン全体に関わるステークホルダー(ライツホルダー)の人権に対する負の影響に取り組むことです。人権DDは、そのためにステークホルダーの人権リスクを特定し、停止、予防、軽減、また是正するための仕組みです。これまでのデュー・ディリジェンスの目的が企業視点でのリスク管理であったことに対し、人権DDはあくまで「人」に関する人権リスクを対象とします。さらに、人権リスク自体も状況によって変化することから、一度きりではなく、日常的、継続的に実施する必要があります。さらに、ステークホルダーの声を人権DDプロセス全体で反映させることが、その実効性を担保するために極めて重要です。

人権DDの実施方法には唯一の正解はありません。自社の事業形態やサプライチェーンの所在地域・国、業種ごとの人権課題などを総合的に考慮しながら、最も効果的な取り組みを模索していきます。ただ、その基礎となるべき具体的アクションは指導原則でも提示されています。

まず、人権の経営における取り組みの位置付けを明確にするために、経営陣によるコミットメントを示すことが最初の鍵となります。その一例が、多くの企業が策定している「人権方針」であり、あらゆる事業活動についての人権に対するコミットメントを示すものです。既存のさまざまな施策や方針、例えば行動規範(Code of Conduct)、就業規則、ハラスメント指針、あるいは中期経営計画などが国際人権基準に沿ったものであるか見直すことも大切です。

その上で、自社のサプライチェーン・バリューチェーンについて、例えば調達・製造・流通・販売・消費・廃棄などの一つひとつのフェーズとステークホルダーを把握し、人権リスクの特定に取り組みます。それぞれの過程で、労働者はもちろんのこと、地域住民や消費者などさまざまなステークホルダーが関わっています。事業活動が影響を与える各ステークホルダーの人権リスクを具体的に考えることが人権DDでは非常に重要です。

これまでも、労働時間や残業代、あるいはメンタルヘルスも含む労働安全衛生、ハラスメントや産休・育休、女性管理職やセクシャルマイノリティなどダイバーシティ(多様性)、イクイティ(機会の平等)、インクルージョン(包摂)の総称DEIといった課題に企業は取り組んできました。いずれも人権課題であり、人権DDの対象と重なります。しかし、人権DDでは国内法だけではなく、国際人権基準に則り、さらに、社内のみならずサプライチェーンを含む事業活動全体のステークホルダーについて人権リスクを調べていきます。

特定した人権リスクについては、停止、予防、軽減するための取り組みを実施します。すでに損害が生じている場合には、その損害を是正する、あるいは、是正に向け協力することも必要です。指導原則は、企業活動が非常に複雑で、かつ人権DDを進めるには時間とリソースがかかることを踏まえ、人権の観点で深刻なリスクから優先的に取り組むことも提唱しています。ただし、自社として中長期的なロードマップを敷き、最終的には全ての人権リスクに取り組むことをめざすことが大切です。

人権DDを実施する際の留意点をいくつか挙げてみます。
❶ 関連部署間で認識と情報を共有すること
人権リスクが関係する部署は実は幅広くあります。従業員の人権については人事部門、取引先との関係では調達・営業部門、事業モデルそのものの人権リスクという観点では経営企画部門、また各国の法令については法務部門など、人権課題は多くの部署にまたがって存在しています。したがって、ある部署が人権DDをリードするとしても、それが事業全体に反映されるように、部署横断的な対応チームを組成するなど、一貫性のある取り組みのための工夫が期待されます。気候変動や生物多様性も含めサステナビリティの課題全体での連携も、今後はより一層重要です。
❷ エンゲージメントによってステークホルダーが実効的に関与すること
例えば、自社や取引先の従業員が労働環境についてどのように感じているか。改善を期待する点はどこか。あるいは、地域住民が事業と自分達の生活との関係についてどのように考えているか。人権DDを通し、企業はステークホルダーの声を聞かなくてはなりません。さらに、女性・セクシャルマイノリティ・外国人・障がい者など、社会で脆弱な立場に置かれうる人々の人権については、特に慎重な検討が必要です。人権リスクの現状に対する理解を深め、自社の取り組みを見直すためにも、課題に取り組むNGOなどとのエンゲージメントをぜひ実施してください。
❸ 人権リスクを知り、開示すること
「リスク」を開示することに、初めは躊躇するかもしれません。しかし、自社の事業活動に関連する人権リスクがどこにあるかを把握し、それを開示することはステークホルダーへの説明責任であり、結果的に企業に対する信頼を高めます。人権リスクは「ゼロ」にはならないため、リスクを過小評価することは、企業としての経営リスクにも直結します。把握した人権リスクとそれに対する取り組みをしっかりと示すことが企業の責任です。
❹ グリーバンスメカニズムを活用すること
自社だけでは人権リスクを十分に把握することはできません。例えば、取引先に人権リスクを尋ねたとしても、現状把握が難しい場合もあるかもしれません。そのため、人権リスクを把握するために、ステークホルダー自身、もしくはその支援者などから声を上げてもらうことが有益です。そのために、「グリーバンスメカニズム(苦情処理メカニズム)」と呼ばれる対話と救済のための枠組みが必要です。既に、内部通報に関連する制度やお客様相談窓口など、従業員や消費者が懸念を伝えられる仕組みがある企業も多いでしょう。まず、既存の仕組みが指導原則の基準(指導原則31)を満たしたものであるかを確認し、さらに、対象もサプライチェーン・バリューチェーン全体の人権リスクに拡大していきます。人権リスクの予防のためにもグリーバンスメカニズムは重要な役割を果たします。

4. 終わりに

人権DDは、事業活動が続く限りはそれに伴って実施するため、長い道のりとなります。分かりやすい形でのゴールがないからこそ、人権リスクに関する日々の取り組みと、中長期的なロードマップを社内全体で検討することが大切です。各企業がステークホルダーの声を聞き、持続可能な社会に向けた責任ある事業活動を実現することを期待しています。


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2023.1 掲載

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