吉開 章:人権の視点から見た、やさしい日本語
プロフィール
やさしい日本語ツーリズム研究会 代 表
吉開 章(よしかい あきら)
やさしい日本語ツーリズム研究会代表、電通ダイバーシティ・ラボやさしい日本語プロデューサー、柳川観光大使。2010年に日本語教育に魅せられ日本語教育能力検定試験に合格。2016年政府交付金を獲得し故郷福岡県柳川市で「やさしい日本語ツーリズム」事業を立ち上げ。現在業務としてやさしい日本語の社会啓発活動に尽力中。講演・メディア掲載多数。
著書:『入門・やさしい日本語』(アスク出版)
「国語」から「日本語」への変化の兆し
「やさしい日本語」という言葉、みなさんもどこかでお聞きになったことがあるかと思います。文化庁が実施した令和元年度「国語に関する世論調査」では、やさしい日本語の取り組みの存在を知っていると回答した人が29.6%、このような取り組みが必要だと回答した人が46.3%でした。この調査で初めて「外国人と日本語に関する意識」という項目が入り、やさしい日本語を「日本に住んでいる外国人に対して、災害や行政に関する情報などを、やさしい日本語で伝えようとする取り組み」と説明しています。この調査は例年国語のさまざまな「表現の揺れ」に注目し、それを「言葉の乱れ」と捉えられているかどうかを調べています。「やさしい国語」「難しい国語」「外国人が学ぶ国語」という言葉に違和感があるように、国語とは日本国民が話すただ1つの言語であり、1つの「規範」があるという前提の言葉だと考えられます。平成30年度の調査結果概要の全14ページ中、「日本語」という言葉は「外国人に対する日本語」という表現に1カ所出てくるだけであり、それ以外はすべて「国語」と表記されています。
一方令和元年度の調査結果概要全24ページでは、目次を含めて「日本語」という言葉が33カ所出てきています。「日本語」という言葉はさまざまな言語の中の1つを指し示し、国や民族と切り離す、相対的な表現となります。「国語の乱れ」というものは実は「日本語の多様性」と言い換えられるかもしれません。性別・人種・宗教など多様性を認める社会作りで、言語だけ1つの規範、他は乱れたものとするわけにはいきません。日本には「国語政策」はあっても「言語政策」は存在してこなかったと言われています。文化庁の調査目的には「国語政策に資する」と書いてありますが、「日本語」という言葉を使って外国人への「やさしい日本語」に注目した令和元年度調査は、国語政策の変化の兆しなのかもしれません。
減災からインバウンドまで、やさしい日本語の歴史
やさしい日本語の歴史は1995年阪神淡路大震災の反省から始まりました。外国人住民の被災率が日本人住民のそれの2倍から3倍高かったというデータから、どんな言語で緊急対応すればよかったのかを社会言語学が専門の弘前大学の佐藤和之教授らが調査したところ、英語でも中国語でもなく、やさしくした日本語が一番通じたという研究結果が出たことから、減災のための「やさしい日本語」という概念が提唱され、現在に至るまで緊急災害放送などで活用されています。その後、日系ブラジル人を中心とした定住外国人の増加により、通常の行政の現場や地域社会でも言語の問題が出てきました。これに対しても、定住外国人に通じやすいのは英語よりやさしい日本語だという調査結果が出たことから、日本語教育が専門の一橋大学庵功雄教授の研究グループが平時のための〈やさしい日本語〉を提唱し、横浜市や愛知県など外国人が多数住む自治体と連携して行政情報の書き換えを進めました。
またインバウンド観光客が増加する中で、韓国・台湾・香港など日本語学習者も多いリピーター客には、英語ではなくやさしい日本語でおもてなししようという「やさしい日本語ツーリズム」が、2016年福岡県柳川市で始まりました。
当初やさしい日本語は、外国人が集住する自治体や地域の国際交流協会が研究者などの協力を得て進めたものでした。しかし2020年オリンピック・パラリンピック大会に向けた多言語対応協議会が多言語音声翻訳ツールとやさしい日本語の親和性、および柳川市のやさしい日本語ツーリズムに注目したことから、2016年同協議会の主催するフォーラムで初めてのやさしい日本語パネルディスカッションが実施されました。
さらに、2018年2月に学習院女子大学で2日間にわたって開催された「〈やさしい日本語〉と多文化共生」シンポジウムではさまざまな研究成果や実践が集まり、やさしい日本語は外国人のためだけではなく、聴覚障がい者や知的障がい者、高齢者などにも有効であることが指摘されました。
国政に位置づけられた、やさしい日本語
移民政策には消極的だった政府も、経済界や農業・中小企業の現場からの要請を受け海外からの人材獲得に大きく舵を切りました。2019年4月に改正入管法が成立、法務省入国管理局が入管庁に昇格して主管することとなりました。また同年に成立した日本語教育推進法では、外国人への日本語教育施策を国の責務だと位置付けられ、それまで担当してきた文化庁が日本語教育推進の役割を担うことになりました。
2020年7月に閣議決定された「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(令和2年度改訂)」では、「生活者としての外国人に対する支援」として多言語対応にならびやさしい日本語が明記されました。さらに同年8月、「日本に住む外国人にもしっかりと国や地方公共団体が発信する情報が届くようになる」ことをめざし、入管庁・文化庁が共同で「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」を発表しました。
このガイドラインは、やさしい日本語と多文化共生の専門家が集まった有識者会議によって作成されました。「在留支援」という在住外国人に特化した名称が付いていますが、書き換える手順としてまず「日本人にわかりやすい文章」にすべきであると提言していることが特筆されます。
新型コロナウィルスの流行により、さまざまな情報が多言語に加えやさしい日本語でも発信されるようになりました。2020年11月には小池東京都知事が外国人住民に向けて自らネパール語やベトナム語に加えてやさしい日本語でも予防対策を呼びかけています。
新型コロナは、日本に住むすべての人に関わる問題です。訪日客は激減したものの、在留外国人は日本にとどまる人が多く、国策としてのやさしい日本語を含む多言語対応は前倒しで実践されていると言えるでしょう。
教育保障とやさしい日本語
文部科学省の平成30年度の調査では、日本語指導の必要な児童生徒数が5万759人、そのうち日本国籍を持つのが1万274人という数字が出ています。「日本人なのに日本語指導が必要?」と一瞬戸惑う人も少なくないと思います。例えば国際結婚の夫婦に生まれた日本国籍の子どもが、家庭環境・地域環境によっては日本語を十分獲得できないことがあります。逆の視点に立てば、在日韓国・朝鮮人の方々には、日本語が母語の人もいます。「日本人に日本語指導が必要」に戸惑うという現象にも、「国語」という言葉の問題が現れているのではないかと思います。国籍と個人のルーツ、および言語は紐づく関係ではないということが、まだ常識になっているとはいえなさそうです。
また、さまざまな事情で学校にいけなかった人たちが学ぶ場としていわゆる「夜間中学」がありますが、昨今の夜間中学には多くの海外ルーツの方々が通っています。2016年には「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が交付され、各県に最低1校夜間中学が設置されることになりました。憲法上外国人住民は教育の義務を負っていないことから、公立小中学校の外国籍児童生徒受け入れ方針が曖昧なことに対し、この法律によって事実上国が外国籍の住民にも教育を保障することになったと言われています。
このように、国籍や母語の違いにかかわらず、日本に住む全ての子どもに対して教育機会を保障し、「国語」とは別の視点による言語教育が導入されようとしています。しかしこれらの教育が保障されたとしても、日本語母語話者と同等に社会で生活する・活躍するには不十分です。教育の機会保障や内容充実のための施策と同時に、社会における言語の壁をできるだけ低くするやさしい日本語の推進が必要になっています。
聴覚障がいとやさしい日本語
日本語を母語とする両親に生まれても、日本語を母語としない人もいます。それは「ろう」、すなわち生まれつき耳が聞こえない人たちです。ろう児の親の9割は聞こえる人だと言われています。ろう児は日本語を自然に習得することはできません。ろう児が自然に習得できる言語は「手話」であり、できるだけ早くろう学校やろう児のコミュニティなど、手話を獲得できる環境に置く必要があります。手話は日本語とは全く別の、れっきとした言語です。そして手話を母語とするろう者にとって、日本語は後から学ぶ言語です。外国人の日本語学習者と同じような日本語の間違いをすることがありますが、私たちが英語で完璧な文章をかけないのと同様、間違うことは避けられないのです。このような人たちの日本語をバカにしたり、能力を疑ったりすることは極めて不当なことだと意識しなければいけません。実はろう者で手話を母語とする人は多数派ではありません。ろう教育では以前から口の動きを読み取って聞こえる人の言葉を理解する「口話」が重視され、補聴器や人口内耳で残存聴力を併用する「聴覚口話法」が現在でも主流です。1880年ミラノで開かれたろう教育国際会議では、「手話より音声言語が議論の余地のないほど優れており、手話より口話の教育を優先する」「手話は口話の習得に有害なものとして、手話を使う生徒と分離して教育すべき」といった決議を採択し、2010年バンクーバーで行われた同会議で完全撤回・謝罪されるまで130年間手話はろう教育で禁止されてきました。日本でも1933年鳩山一郎文部大臣の訓示により手話での教育が禁止され、子どもたちも学校で手話を使うことを厳しく禁じられました。
しかし1960年代に米国ギャローデット大学のウィリアム・ストーキー教授により手話が言語であることが提起されて以降、ろう者の言語権としての手話が注目されることとなり、日本でも全日本ろうあ連盟などが中心となって社会や教育における手話の導入運動を行いました。文部科学省が手話をろう学校のコミュニケーションとして明記したのは2009年のことです。それでもろう学校の教育目標は日本語の習得であり、手話はそれを助ける方法の一つとされています。
これに対しまずろう児には手話を母語として獲得させるべきという考え方が現れ、2008年に教育特区を利用し日本で初めてろう者の固有の言語である「日本手話」で教育を行う特別支援学校「明晴学園」が設立されました。明晴学園では日本手話を母語として定着させた上で、日本手話で日本語や教科を学び、ろう者の文化と聞こえる人の文化の双方を学ぶ「バイリンガル・バイカルチュラルろう教育」を実践しています。とはいえ、2020年になってもこのような教育方針の特別支援学校は明晴学園1校しか存在しません。
いずれにせよ過去にろう教育を受けた人たち、そしてこれからの子どもたちの多くも、当面唇の動きを読んで理解する聴覚口話法を使います。しかしこれは常に推測を伴うものであり、「たまご」と「たばこ」の区別はできません。だらだら、または早口で話すと極めて理解しにくくなります。はっきり、最後まで、一文を短く言うやさしい日本語で話す必要があります。
コミュニケーションが壁となる場合の特異性
社会には、さまざまな理由で生きづらさを感じている人たちがいます。車いす利用者や視覚障がい者の人たちは「移動の壁」で生活や社会参画で困難に直面します。LGBTQなどの人たちは「制度の壁」で権利が制限されている現実があります。これらの「壁」は、支援者の協力を得て当事者自身が声をあげることで、社会に粘り強く働きかけることができます。しかし外国人やろう者など「コミュニケーションが壁」となっている人たちにとって、当事者が自らの「言葉」で社会に訴えることは困難です。
また、例えば街中で立ち往生している車いす利用者や視覚障がい者を見れば、いろいろ状況を聞きながら最後まで協力する人は少なくないでしょう。しかし、例えば何か困っていそうな人に声をかけた時、その人が外国人やろう者など日本語を十分話さない人だったりすると、仕方ないと早めにあきらめてしまう人も多いと思います。コミュニケーションの壁は他の壁に比べて、あきらめが早いという特徴があるのです。そして「あきらめられた」方は疎外感を感じます。このような人が社会に感じる疎外感は、個人から日常的に受ける疎外感を総合したものだと言えるでしょう。このような壁は、知的障がい者の方や高齢者も感じている壁です。難しい表現やわかりにくいロジックを使って話すとついていけなくなる方も大勢います。
相手が外国人ならやさしい日本語で通じるかもしれません。そうでなければ、やさしい日本語でスマホの翻訳ツールを活用するといいでしょう。また相手がろう者でも、聴覚口話法を使う人ならやさしい日本語ではっきり言えば通じますし、それでもダメなら筆談など他の方法もあります。知的障がい者・高齢者にも、必要に応じてやさしい日本語で一文を短くして話すなど工夫をすることで通じやすくなります。
やさしい日本語での情報発信例
行政が発信する情報に限らず、新聞やテレビなど国内メディアが発信する情報も、日本語を母語としない人にはほとんど役に立っていないのが現状です。ニュースの領域で最初にやさしい日本語に注目したのはNHKであり、「NHK News Web Easy」で全国のニュースから1日5本程度を選び、やさしい日本語に翻訳して掲載しています。またNHKのツイッターは災害情報提供で、多言語に加えやさしい日本語でも発信しています。さらに、西日本新聞では、地元に住む外国人住民にも役立つ情報を提供したいと、記者自らが記事を選んでやさしい日本語にしてウェブに掲載する「やさしい西日本新聞」コーナーを常設しています。新聞メディアでは朝日新聞系のwithnewsや高知新聞がネットを使ったやさしい日本語での情報発信に取り組んでいます。
また、ウェブアクセシビリティの観点から、自治体などのウェブサイトでは文字サイズ変更・音声読み上げに加え、やさしい日本語を含めた多言語化が進んでいます。アルファサード株式会社が開発した「伝えるウェブ」は、ページ上の情報をAI翻訳技術である程度のやさしい日本語に翻訳する機能を提供しており、東京都足立区や岩手県久慈市、福岡県飯塚市などが導入しています。
さらに、一般社団法人スローコミュニケーションは、前身である知的障がい者のための新聞「ステージ」の発行を経て、現在ウェブ上で知的障がい者に向けてわかりやすくしたニュースを定期的に発信しています。同法人野沢和弘代表は元毎日新聞記者であり、自身が重度知的障がいのあるご子息を持つという経験から、記者時代である1996年から取り組んできました。野沢氏は「政策の変化が自らの生活に直結することから、知的障がい者にはニュースに関心のある人も多い」といい、知的障がいに詳しい研究者などの協力を得て活動しています。
やさしい日本語で寛容な社会づくりを
「コミュニケーションの壁」は、情報格差だけでなく、人間関係構築も阻むものです。結果、当事者は社会や人から「疎外感」を感じます。やさしい日本語は、外国人に限らず、これまであきらめが早かった「コミュニケーションの壁」を解消するための有力な手段です。それは同時に「疎外感」も解消する手助けになります。意外な場面でも疎外感を与えてしまうことがあります。例えば、日本語を話せる西洋系の外国人が、日本人の友人と一緒にレストランに入ったとき、外国人が日本語で注文をしているにもかかわらず、店員は外国人を無視して日本人に返事をしたり確認をしたりするという現象が時々見られます。これを関西学院大学のオストハイダ・テーヤ教授は「第三者返答」と呼んでいます。
オストハイダ教授は、この「第三者返答」は車いす利用者もよく経験することだと指摘しています。教授は、日本人がこれらの行動をしがちな理由として「それが無難だと思っている」と指摘していますが、いずれにせよ当事者にとって疎外感を感じさせる、極めて不愉快な行動になっていると言えます。
実はこの第三者返答は、障害者差別解消法では差別に相当するとされており、行政の現場などでは排除しなければいけない行為ですが、まだ十分に周知されているとは言えないようです。さらに同法では何も話し合いをすることなく受付対応を拒否したり、受験を断ったり、住居紹介を断ったりすることも差別だとされていますが、これらは外国人も同じような目に遭遇することばかりです。しかしながら、外国人への対応は障害者差別解消法のような法律の根拠はありません。おそらくLGBTQの方々も同様の経験があるでしょう。
この社会にはさまざまなマイノリティがともに暮らしています。このような方々への合理的配慮について、細かいカテゴリ分けをする必要があるのでしょうか。障害者差別解消法には障がい者だけでなく外国人やLGBTQの人の視点も必要であり、またやさしい日本語の考え方には外国人だけでなくろう者や知的障がい者・高齢者の視点も必要です。
これからは、外国人やろう者など日本語を母語としない人や知的障がいのある人の社会参画など、さまざまな形のコミュニケーションが増えてくるでしょう。それらは「規範としての国語」とは違うかもしれません。そのような社会においては、
・相手の事情を知り、違いに寛容になる。
・第三者返答をせず、本人に直接話す。
・はっきり、最後まで、短く話す。
ことが重要になってくるでしょう。
2021.7掲載