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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

中川 裕:現代のアイヌ民族とアイヌ文化

プロフィール

千葉大学 文学部 教授
中川 裕(なかがわ ひろし)

千葉大学文学部教授。1955年神奈川県横浜市出身。東京大学大学院人文科学研究科言語学博士課程中退。1995年『アイヌ語千歳方言辞典』(草風館)を中心としたアイヌ語・アイヌ文化の研究により金田一京助博士記念賞を受賞。野田サトルさんの漫画『ゴールデンカムイ』では連載開始時からアイヌ語監修を務める。

◆著書:『アイヌの物語世界』(平凡社ライブラリー)、『語り合うことばの力』(岩波書店)、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書) など多数。

アイヌ民族とは

アイヌ民族は日本固有の民族であり、日本の先住民族である。日本固有という意味は、集団としてのアイヌの居住地域は現在の日本国内に限られており、国際的にも日本の民族として認識されているということである。そして先住民族という意味は、和人(日本のマジョリティ)より前から、現在日本と呼ばれている地域の一部に住んでいたということだけでなく、「現在優勢を占めている社会の別の構成部分と、自分たちを区別して考えている人々」※①という定義に当てはまる人たちであるということである。日本政府は長い間そのような先住民族の存在を認めて来なかったが、昨年(2019年)4月に成立した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」の成立によって、やっとアイヌを先住民族と法的に規定した。

現在のアイヌ人口

アイヌの正確な人口は不明であるが、北海道で七年に一回くらい行われている「北海道アイヌ生活実態調査」※②が参照されることが多い。調査対象者は「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる方、また、婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」となっている。最新の2017年度の調査報告によると、1万3118人。2013年度の調査報告では1万6786人。2006年度の調査では2万3782人。それ以前はずっと2万4千人前後を保っている。
ただし、自分をアイヌであると考えている人の数は、もっとずっと多いだろう。その理由のひとつは、アイヌであることを隠している人の数は、公表している人よりはるかに多いと考えられるからである。その理由は言うまでもなく「差別」があるからである。
もうひとつの理由は、アイヌは北海道だけに住んでいるのではないということである。私は、東京八重洲にあるアイヌ文化交流センターというところで、二十年以上にわたって月一回アイヌ語を教えているが、対象は「アイヌの血を引いているか、その配偶者」に限っている。それでも毎年どんどん新しい人が入って来ている。その中には長年毎月静岡から新幹線で通ってきている家族もおり、おばあちゃんは北海道の生まれだが、孫娘たちは静岡生まれである。それでも孫娘のひとりはアイヌとしての自覚を強く持っており、今では北海道の大学に入ってアイヌ文化の本格的な勉強を始めている。このように北海道在住者ではないアイヌの人たちは、前出の「生活実態調査」の対象にはなっていない。私は以上のようなことを勘案して、アイヌとしてのアイデンティティを持っている人は十万人はいるのではないかと踏んでいる。

アイヌ語上級講座(八重洲)授業風景

▲アイヌ語上級講座(八重洲)授業風景


アイヌの世界観

アイヌの伝統的な世界観|私がアイヌ語を教わった1900年前後生まれの人たちから学んだ思想|について説明しよう。
まず、「カムイ」という言葉から始めたい。このカムイは野田サトルさんの「ゴールデンカムイ」という漫画のタイトルにも使われている言葉だが、この言葉の意味を理解していないと、アイヌ文化はまるでわからないと言っても過言ではない。カムイは「神」と訳されることが多いし、アイヌ自身も「神様のことだ」と説明することが多いが、日本語の「神様」と同じ意味だと思ってはいけない。たとえば、自分の家の庭先にスズメがいたら、それはカムイである。カムイが遣わしたお使いとかではなく、庭でカムイが何かをついばんでいるのである。食事の支度をするためにガスコンロに火をつける。すると、そこには火のカムイがいる。カムイの力で火がもたらされたというのではなく、そこで上がっている炎がカムイなのである。人間が作ったものもカムイなので、昔の生活では家も舟も臼も鍋もみんなカムイであった。現代の生活に置き換えれば、テレビもパソコンもスマホもみんなカムイということになるだろう。要するに、人間のまわりにあって、なんらかの活動をしていると感じられたり、人間の役に立ったりしているものは、すべてカムイなのである。
そして、カムイにそのような活動ができるのは、カムイが「人間と同じような精神」つまり霊魂を持っているからだと考える。さらにその霊魂は人間と同じ姿をしているのだが、それは人間の目には見えないので、人間の前に姿を現す場合には、人間の目に見えるように、例えば火であれば赤い着物を重ね着してやってくると考える。炎というのは火の着物なのである。クマやカラスといった動物たちも、毛皮や羽毛を羽織ってくることで、その姿に見えるのであり、中身(霊魂)は人間と同じだと考える。そして、動物たちは人間に毛皮や食料としての肉を与え、植物は木の実や木材を人間にもたらしてくれる。人間はそのお返しに感謝の祈りを捧げ、酒や米の団子など、かつては自分たちにとっても非常に貴重だった御馳走を捧げて、お互いに恩恵を与えあっているのだと考える。
だから、食べ物を残して腐らせるなどということは、カムイたちからもらったおみやげを粗末にすることであり、カムイたちは怒って人間の前に姿を現さなくなる。そうすると飢饉という最も恐ろしい厄災に見舞われることになる。川で立小便をしたりするのも言語道断である。水のカムイの怒りに触れて水難事故が起こるかもしれない。かつてのアイヌたちはそのように考えて、自分の身の周りのものすべてを人間と同じように扱い、それらとの関係を良好なものにしていくように気遣ったのである。
そのような存在であるカムイを言い表す日本語としては、私は「環境」という言葉が一番近いのではないかと思う。アイヌとカムイが良い関係を保つことによって、この世は円滑に動く。これがアイヌの思想である。言葉を換えれば人間と環境がお互いに持続可能(sustainable)な社会を築くことが最も重要である、ということになる。水のカムイを怒らせないように気をつければ、水はいつもきれいに保たれる。こちらが環境に返せるものがないのに、一方的に収奪(乱伐、乱獲)すれば、人間の住みにくい世界ができあがる。こう考えれば、アイヌの伝統的な考え方は、現代社会でも十分に通じる。というより、今最も必要な考え方であるといえるだろう。

アイヌ古式舞踊とアイヌの伝統楽器  「トンコリ(五弦琴)」の演奏

アイヌの生活文化

かつてアイヌは狩猟採集民であり、山でクマやシカを獲り、山菜を採って暮らしていた。そう考えている人は多いだろう。そのこと自体は間違いではない。ただし、おそらくそこから作られているアイヌのイメージは、実際とは大きく違うのではないかと思う。

アイヌの伝統的な踊り

▲アイヌの伝統的な踊り


まず、アイヌは和人側の記録や考古学的な資料から見る限り、古くから交易の民であった。アイヌ文化は十三世紀頃に擦文文化※③からの変容で成立したというのが定説だが、そこで起こった変化の一番大きなものは、土器の製作をやめてしまったということだ。土器にとって代わったのは鉄器と木器だが、木器は金属製の刃物の存在を前提とするのであり、要するに、鉄鍋や小刀・山刀などの刀身のある金属製品が大量に入手できるようになったので、土器を作る必要が無くなったのだと考えられる。その金属器はどこから来たのかというと、和人との交易で手に入れたということになる。テッサ・モーリス=スズキという歴史学者などは、アイヌはかつて農耕経済も営んでいたのだが、交易の商品としての毛皮生産に特化するために、農耕をやめて狩猟中心の生業にチェンジしたのだとまで言っている。

擦文文化

もうひとつ重要なのは、狩猟採集という営みの実態である。山菜を採って食べるというと、特に都会で暮らしている現代人は、裏山に生えているものをちょっと採ってきて、おひたしとかにしてその日のうちに食べてしまうというようなことを思い浮かべるだろうが、かつては、たとえばオオウバユリ※④というユリの根を採るために、何人もの女性が舟に乗って泊りがけで山奥に入り、大量に採ってきたものを保存食料にするために何週間もかけて加工した。他の山菜類も採ってすぐ食べるのではなく、まず干して乾燥食料にし、食べる時にはそれを水に戻して、鍋物の具などにして食べた。山菜だけでなく、シカやサケを獲っても、まずやることはそれを保存食料にすることである。アイヌはかつて塩蔵という手段をとらなかったので、サケであれば内臓をとり、腹を大きく開いたり、縦に細長く割いたりして、乾燥しやすくして干した。シカであれば肉を切ってさっとゆで、それを竿にかけて干した。そして、どちらもある程度干しあがったら家の中に入れ、囲炉裏の上に下げて燻製にした。このように、保存食の作製ということに日夜大変に手間暇をかけたのである。狩猟採集経済というと、その日暮らし的な生活を思い浮かべるかもしれないが、かつてのアイヌは、たとえ飢饉がきても持ちこたえられるように、ものすごく多様な食材を、多大な労力をかけて何年分もの保存食品に加工していたのである。

カムイからの贈りもの「サケ」を乾燥保存

▲カムイからの贈りもの「サケ」を乾燥保存


アイヌ文化の復興

明治になって北海道の「開拓」が始まってから、このような伝統的なアイヌの生活は基盤ごと破壊され、それによってアイヌ語やアイヌ文化は急激に衰退していった。今、アイヌ語のほうが日本語より話せるという人は、おそらくひとりもいない。その意味ではアイヌ語はすでに「死語」である。言語以外の生活文化についても、それで日常生活を送れるような環境はすでに無く、観光地や特別なお祭りなどの場で伝統的な衣装を着、昔の料理や儀礼などを再現しているというのが実態である。
しかし、今注目すべきことは、特に若い世代において、自分たちの文化・伝統の回復に熱心に取り組む人たちが増えて来たことである。これには1997年のいわゆる「アイヌ文化振興法」と、その実施のために作られた財団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」(現在の公益財団法人 アイヌ民族文化財団)の力も大きい。これによってアイヌ文化を学ぶ場や、学んだものを実践する場が数々提供されてきた。そのひとつとして、毎年11月から12月に行われている「イタカンロー」(アイヌ語弁論大会)が挙げられる。ここには「子どもの部」もあり、中学生以下の子どもたちも大勢参加している。
一方、前出の「ゴールデンカムイ」のヒットなどもあり、世間の目がアイヌに向けられることが多くなってきた。2018〜19年の2年間で、アイヌ関連の入門書・概説書の出版は十点以上におよぶ。これはかつてない状況であり、アイヌへの注目度の高まりが、出版業界にも活気のある市場と見られていることがうかがえる。

未来への期待

こうした流れの中で、2020年4月※⑤ 北海道白老町に、日本で8番目の国立博物館である国立アイヌ民族博物館を含む、民族共生象徴空間(ウポポイ)が開設されるが、施設そのものより、私はそこで働くことになっているアイヌの若者たちに注目している、彼らはこの十年くらいの間に、各地でアイヌ語・アイヌ文化の知識や技術を積極的に学んできた人たちであり、すでにさまざまな分野のエキスパートである。彼らがこのウポポイ(民族共生象徴空間)でどのような活躍をするかを、私はおおいに期待しているのである。

国立アイヌ民族博物館

ウポポイ(民族共生象徴空間)は、アイヌ文化復興等のナショナルセンターです。
ウポポイ(民族共生象徴空間)は、2020年4月24日※⑤、北海道白老町(しらおいちょう)
ポロト湖畔に誕生するアイヌ文化復興・創造の拠点です。
愛称「ウポポイ」は、アイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味します。



※① 1983年マルチネス・コーボによる国連人権小委員会への報告書より
※② 北海道アイヌ生活実態調査ホームページ http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/ass/new_ jittai.htm)
※③ 擦文文化とは…北海道における続縄文文化に続く文化。擦文土器・鉄器を使い、竪穴住居に住み、狩猟・漁労・雑穀栽培を行なった8~13世紀の文化(大辞林第3版より)
※④ オオウバユリ…別名:エゾウバユリ・ユリ目ユリ科、落葉樹林にはえ、地中に鱗茎のある多年草。
※⑤ 2020年4月開設…新型コロナウイルスの感染拡大を受けて約1か月延期し、5月29日の開設をめざしている。(2020年4月7日)



2020.8掲載

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