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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

小林浩志:「アンガーマネジメント」を職場に取り入れる意義とその概念

プロフィール

一般社団法人 日本アンガーマネジメント協会 理事
特定社会保険労務士
小林 浩志(こばやし こうじ)

法人こばやし事務所代表社員、行政書士こばやし事務所所長、公益財団法人21世紀職業財団ハラスメント防止研修客員講師、日本スポーツ法学会会員(法学修士・体育学士)
1969年生まれ、青山学院大学大学院法学研究科修了
社会保険労務士・行政書士の事務所を経営する傍ら、社会人大学院でパワーハラスメントの法的・実務的対策を研究。パワハラ防止策の有効なツールとしてのアンガーマネジメントを数多くの企業、学校、病院などへ紹介のほか、メディア出演、Web連載、雑誌掲載多数
著書に『パワハラ防止のための アンガーマネジメント入門』(東洋経済新報社)、『現場監督のための早わかり労働安全衛生法』(共著、東洋経済新報社)など

増加の一途を辿るパワーハラスメント

厚生労働省の「個別労働紛争解決制度施行状況」について、先日、2014(平成26)年度の最新データ(下図)が公表されました。「いじめ・嫌がらせ」の相談件数は62,191件(複数の内容にまたがる相談をそれぞれカウントした延べ件数290,625件に対して21.4%)となり、3年連続で相談内容のトップです。

「パワハラは良くない」……今では多くの人がそう考えています。
企業も盛んにパワハラ研修を導入したり、パワハラ防止規程を定めています。
しかし、パワハラはグラフが示す通り年々増え続けています。何故でしょう?
長年パワハラ防止に取り組んできた筆者の大きな課題でもありました。そんなときに出合ったのが「アンガーマネジメント」です。

アンガーマネジメントは、1970年代にアメリカから広まった「怒りと上手に付き合う」ための心理教育であり、実践的技術論です。
アンガーマネジメントの技術や考え方は、パワハラ防止に間違いなく役立ちます。
その理由は、パワハラ防止規程などの制度面からのアプローチに、働く人の感情面へのアプローチであるアンガーマネジメントが加われば、「制度に魂が入る」からです。
アンガーマネジメントは、働く人の健全な精神衛生醸成、かつ生産性の高まる職場づくりに必ずや寄与することでしょう。

問題となる4パターンの表出と解決方法

怒りは、喜怒哀楽に代表される人間の基本感情です。自然な感情なので、なくせるものではないとお考えください。
アンガーマネジメントでは、怒ること自体は全く構わないけれど、「怒ることと、怒らないことを自分の内的基準で区別できないこと」を問題視しています。
区別できないと、冷静さを欠き、機嫌や都合で怒ってしまい、諸々の悪影響を及ぼします。悪影響を及ぼすのは、主に(1)頻度が高い、(2)強度が強い、(3)持続する、(4)攻撃性を伴う、4タイプの怒り方です。

(1)の頻度が高いとは、しょっちゅう怒っている人のことです。
誰かがイライラしていると、周囲の人にもイライラが移ることを「情動伝染」といいます。そうした職場の生産性が高いとは考えにくいですね。

(2)強度が強いとは、読んで字のごとく、強すぎる怒りです。怒りの感情はとても幅が広く、ONかOFFかの二択ではありません。
パワハラはいけないと頭ではわかっていても、いわゆる「キレた」状態になって情動を抑えきれずにパワハラ言動をしてしまっては本末転倒です。
強すぎる怒りは、ときに破壊をともない、場合によっては、手遅れになることや全てを失うことがあります。
2013年6月、JR線大井町駅のホームから男性が突き落とされた事件がありました。
容疑者(会社員)が突き落とした理由は、腕が当たったことを被害者の男性から注意されて口論になったからだそうです。殺人未遂容疑で逮捕となりました。
ずっと真面目に働いてきた人でも、一瞬の強すぎる怒りを制御できないことで、多くのものを失ってしまう可能性があります。

(3)の持続性は、腹立たしく感じたことをいつまでも忘れられず、夜も悔しくて眠れないような人のことです。
2011年、ある会社で、定年退職日の社員が社長を殴って現行犯逮捕された事件がありました。逮捕された社員は、警察の調べに対し、「社長への長年の恨みがたまってやった」と供述したとのこと。ずっと怒りの感情を持続させながら生活するのは苦しいし、発散のさせ方も明らかに誤っています。

(4)の攻撃性を伴うは、怒りの感情を他人や物、もしくは自分へと向けてしまうことです。
FF行動(Fight or Flight Response)と呼ばれる学説を基にすれば、人間が強い怒りを感じると、Fight (戦う)または Flight(逃げる)の選択をするのだそうです。 勝てそうな相手にはケンカをふっかけ、勝てそうでなければ匿名によるネットへの書き込みに逃避するのが一例といえます。
パワハラを受けた人が、他人になりすまし、SNS上で上司や会社を非難したけれど、なりすましたことを気に病んで、メンタル疾患になってしまうケースもあります。

アンガーマネジメントを習得すれば、これらの危険を回避することが可能になります。

(1)高頻度に怒る人は、常にストレスフルな状態にあります。手っ取り早い解消法は、気分転換メニューを複数持つことです。1日がかりのメニューから5分で出来るレベルまであるとよいでしょう。イライラの都度、怒りの元のストレスを手際よく除去してしまってください。

(2)強く怒りすぎてしまう人は、イライラした都度、自分の怒りに「10点満点」で点数をふってみてください。
怒りの感情には「尺度」が無いため、私たちは自分の怒りを客観視できません。けれども、この怒りは3点、あの怒りは5点と「見える化」することで、暴走を止め、部下に対する適正な指導へと繋げ易くなるでしょう。

(3)怒りは、建設的なパワーに転換できます。しつこい「思い出し怒り」を払拭するには、正々堂々とした振る舞いで相手を見返すことです。ビジネスマンもアスリートのように怒りをエンジンにして、業務の実績で見返しましょう。

(4)怒りの感情を攻撃に移してしまう人は、視点(矛先)を変えましょう。他の事物や事象に視点を向け、集中するのです。
怒りの感情のピークは長くても6秒程度といわれています。
いったん目をつぶり、大きく深呼吸をしてから、例えば「何かをじっと見つめる」「歯を磨く」「靴を磨く」といったことだけに全神経を向けて、6秒をやり過ごしてしまうのです。
そうすれば、少なくとも人や物に危害を加えたい怒りの衝動を大きく減らせるでしょう。

このように、アンガーマネジメントは特別難しいことをするわけではないのですが、ちょっとしたメソッドを知り、トレーニングを積み重ねることで「わかっていたのだけれどつい…」や「そんなつもりじゃなかったんだけど…」を防ぐのです。
とっさの場面で、アンガーマネジメントをできるか否かは、日頃の積み重ね。怒りの取り扱いミスによる後悔をしないように心掛けたいものです。

「解決志向」で過去の怒りに振り回されないようにしたい

過去の苦い経験が頭にこびりついて離れず、「思い出し怒り」に苦しめられてしまう人がいます。
思い出し怒りは、先述したところの「持続性」に発展する可能性があり、注意が必要です。

アンガーマネジメントでは、基本的に、怒りの感情で相手の気持ちを変えることはできないという考えをとっています。
そして、ソリューション・フォーカス・アプローチ(解決志向)が、しつこい「思い出し怒り」の感情をコントロールする上で有益だと説いています。

怒りの問題を解決できないままでいるのは、発生した問題原因にばかり焦点を当て過ぎているからです。
さらに、相手が変わらないとわかると、憎悪・怨恨というレベルまで怒りが達してしまい、取り返しのつかない報復手段を実行してしまう人が出てきます。
先ほどは、定年退職日の社長殴打事件を例に挙げましたが、もっと凄惨なストーカー、放火、毒物混入といった事例が該当するともいえます。

アンガーマネジメントでは、問題の原因追究を重視しません。なぜなら、問題の原因に戻れば、怒るに至った背景がよみがえり、再び「こいつが悪い」「あいつだけは許せない」とさらに思い出し怒りの感情が増幅するからです。
悪者探しは、建設的でなく、ソリューション(問題が解決された状態)に至る最短距離といえません。
変えられないことに時間を費やしても自分が傷つき、疲れるばかりでしょう。

児童心理学者で、子どものためのアンガーマネジメントの権威であるジェリー・ワイルド氏は著書『自分の怒りをしずめよう』(東京書籍)の中で、「廊下を歩いているとき、誰かがぶつかってきて、きみの本が全部床に落ちてしまったとする。そんなとき、どんな風に感じるだろう?『このドジ!前を見て歩けよ!』こう思ったら誰でも腹が立つ。でも、ぶつかったのが目の不自由な子だとわかったら、どう思うかな?……」と書いています。
つまり、本が散らばったという事実は同じであるのに、ぶつかった人がどういう人であるかを問題視し、その結果抱く感情に変化が生じてくるのです。

アンガーマネジメントが身につけば、「本が落ちたな、拾えばいいや」という解決志向で物事を考えます。そのぐらいのことで強い怒りに支配され、ひどい報復手段に出てしまったら、今度は罪悪感で自分が苦しむことになるでしょう。

職場から怒りの感情を断ち切って、好意の返報を広げたい

「情動伝染」について先述しましたが、怒りの感情が芽生えた人は、新たな矛先を探そうとします。つまり、怒りは連鎖するのです。

平成25年9月に発表された『平成24年労働者健康状況調査(厚生労働省)』において、「仕事や職業生活に関する強い不安、悩み、ストレス」の第1位は「職場の人間関係の問題」でした。ちなみに、男女ともに1位です(全体の41・3パーセント、男性35・2パーセント、女性48・6パーセント)。
こうした統計から、多くの人は職場でイライラを抱えている状態にあるといえます。
抱えたイライラの感情を家庭に持ち帰ると、夫から妻へ、妻から子へとイライラをぶつけてしまいます。
イライラをぶつけられた子は、自分の弟妹や、翌日学校で、自分よりも弱い子をいじめてしまいます。
いじめられた子は……もう怒りの連鎖は止まりません。
こうして、怒りの連鎖に巻き込まれた人は、なんとなく虫の居所が悪くなり、無関係の人についつい文句を言ってしまったりするのです。
誰かに怒りをぶつけられたら、無意識にでも誰かにぶつけないと気がすまない人たちが増えたら、とても危険で厄介で辟易する世の中になってしまいます。

私が理事を務める(一社)日本アンガーマネジメント協会の理念は、「怒りの連鎖を断ち切ろう」です。
アンガーマネジメントを習得すれば、自分の怒りの捌け口に誰かを利用しなくなります。
つまり、世の中のところどころで怒りの連鎖が断ち切られるのです。
そうなれば、不条理に怒りをぶつけられる人も減っていき、自ずと働きやすい職場、暮らしやすい世の中になってくるはずです。
怒りの連鎖を断ち切ったら、私たちは何を連鎖させましょう。
どうせなら、嬉しい、楽しい、安心、楽観、信頼、愛情、感謝、自信、やる気、くつろぎなどの「プラス感情」を溢れさせたいものです。
人は「好意の返報性」という心理を持つと言われています。
好意の返報性とは、好意を受けた人は、その相手に好意を返し、自然と友好的な振る舞いをしてしまうという性質の心理です。
職場でのちょっとした気遣いや配慮が積み重なれば、「職場の人間関係の問題」に「仕事や職業生活に関する強い不安、悩み、ストレス」を感じる人が減り、生産性向上にも寄与することでしょう。
パワハラとは無縁の「好意の返報」が溢れる職場環境は、アンガーマネジメントによって醸成可能ではないでしょうか。
アンガーマネジメントについての必要性をお感じいただければ幸いです。

2016.3掲載

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